ブログ引越しのお知らせ

注目

何度もブログの投稿先を変更して申し訳ないのですが、日本に帰国したので新しくWPでブログを作りました。RSS飛ばしてくださっている方はお手数ですが、以下の新しいブログのアドレスを登録しなおして頂きますようお願い申し上げます。このブログは、僕のアメリカ滞在中の記録として、このまま残しておきます。

英語教育0.2 http://tam07pb915.wordpress.com/

最後の日ー2年間の留学を終えて

明日の午後1時発の便で日本に帰ることになりました。丸2年間アメリカの北東部の誰も知らないような街でつらいことやつらいことやつらいことなんかを乗り越えてつらくてつらくてつらい思いをたくさんしました。本当に、「ああ留学って楽しいな。来てよかったな」と思ったことを今思い返してひとつもあげられないくらいネガティブな思いしかありません。特に最後の方は、修論に悩まされ、納得がいかず、自分の不勉強さや要領の悪さに嫌気がさす毎日でした。

アメリカに留学を決めた理由を思い返してみると、「このままでは教師になれない・なりたくない」という思いが一番強かったのかもしれないと思います。それはある意味逃げでもあったと思います。自分に自信は持てないという思いを抱えてはいても(自分は完璧ではないと思っていても)教採に受かって教員をやっている同期はたくさんいたからです。それでも、僕はやはり英語力の面でも、英語教育に関わる知識の面でもまだまだ修行が足りないと思いました。アメリカに留学して、修士号を取れば、その思いも拭えると思っていました。当初の予定より3ヶ月滞在歴を伸ばして修論を出した今思うことは、2年前とまったく同じ。「ああなんて英語ができないんだろう。ああなんて自分はなにも知らないんだろう」ということです。そうやって考えると、もしかして自分はこの2年間でなにも成長していないんじゃないかと思わされます。けれど、そうではないと思っています。2年前言いたくても言えなかったことは今なら言えるし、2年前には考えたこともなかったことも今なら知っていると思います。ただ、もっともっと広がる果てしない世界が見えるようになっただけなんだと思います。英語のほうでも学問の方でも。やればやるほどにきりがないものが見えてきて、そのたびにああ自分はなんてダメなんだと思ってしまうんだと思います。だからこそ、日本に帰っても絶対勉強し続けたいと思いますし、修論でうまくいかなかったことをいつかもう一度研究してみたいと思います。そうやって、学問の面で刺激を受けることができたのは、Twitterの影響の方が実は大きかったりしています。Twitterがなければ修論も学会発表もなかったと思います。Twitterでお世話になった方々にはこの場を借りて御礼を言いたいです。本当にありがとうございました。そしてこれからもよろしくお願いします。特に英語教育クラスタのみなさまとは、同じ英語教育の分野で、僕も何か少しでも貢献できるように、自分ができることをしっかりとやっていきたいと思います。
というわけで、明日米国東部標準時午後1時発の便で日本に帰ります。
では。これが最後の
アメリカ New Hampshireより。
おしまい。

洋風かけうどん

洋風うどん 2013-6-14 洋風うどん,Dinner,Noodles

どうもみなさんお久しぶりでございます。昨日思いつきで作ったらすごいおいしいものが出来上がったので忘れないうちにメモ代わりとして記事に残しておきたいと思います。iPadのカメラで撮ったのでちょっと画質が悪いんですが、おうどんです。考えてみると「料理」っていうカテゴリーで書いた記事全部麺類w まあ麺類って簡単ですからねw

材料(1人前)

  • うどん一束(僕は乾麺のを使いましたが生麺でも冷凍でも)
  • プチトマト4-5個
  • 長ネギ2-3センチ
  • にんにく一欠片
  • 鷹の爪少々
  • 白身魚一切れ
  • オリーブオイル大さじ3
  • めんつゆ(市販のもの持ってなかったので顆粒のかつおだしとこんぶだしに醤油を足して作りましたが市販のものでOK)
  • 塩少々
  • こしょう少々

作り方

  1. ニンニクをみじん切り、長ネギも縦に十字に切れ目を入れてみじん切りにします。鷹の爪は砕いてあるものならそのままで、そうでなければ種をとって細かく輪切りでいいかと思います。
  2. 小さめのフライパンにオリーブオイル、ニンニク、鷹の爪をいれて弱火にかけます。
  3. 大きめのお鍋にたっぷりお湯を沸かしておきましょう。
  4. ニンニクの香りがたってきたら、プチトマトを投入して中火にします。プチトマトを転がしながら柔らかくなるまで火にかけます。
  5. 白身魚は、塩とこしょうをしてキッチンペーパーで水気を取りましょう(魚は塩こしょうすると水がでます)。
  6. 別のフライパンで揚げ油を火にかけます。
  7. トマトがやわらかくなったら形が残る程度につぶして、みじん切りの長ネギを投入してさらに炒めます。
  8. 水気をしっかり切った白身魚に、片栗粉をまぶして、揚げましょう(多分180度とか)。
  9. お湯が沸いたらうどんを茹でます。乾麺のうどんは10分くらいだったのですが、冷凍や生麺はもう少し短いと思いますので、白身魚の揚げ上がるタイミングとうどんの茹で上がりのタイミングを見計らって茹で始めてください。
  10. 別途かけつゆ用のお湯を沸かして温かいかけつゆを作ります(冷たいぶっかけうどんがいい方は冷たいお水でかけつゆを用意しましょう)。
  11. 白身魚はこんがりきつね色になったら油からあげて油を切りましょう。
  12. このタイミングでうどんも茹で上がっているとベスト。茹で上がったうどんを水気を切ってお皿に盛ります(冷たいおうどんの場合は洗って氷水でしめてから)。
  13. うどんの上に揚げたての白身魚を載せて、そのうえにプチトマトを盛りつけて、最後にかけつゆをかければ完成です。
  14. 最後に乾燥パセリをパラパラっとすると見た目もよくなります。

つゆは和風なのに、白身魚フライとオリーブオイルで炒めたプチトマトで洋風っぽくなります。白身魚ない場合は鶏肉や豚肉でも応用可能だと思いますが、ただ少し食べづらいかもしれませんね。白身魚だとつゆがしみてほぐれやすくなると箸でも食べやすいので。あるいは魚なしでプチトマトのオリーブオイル炒めを普通のうどんにプラスするだけでもまあそれっぽくはなるかもです。試してはいないですが、たぶんこれはお蕎麦ではやらないほうがいいかもしれません。そばは洋風アレンジ結構難しいです。逆にうどんは、カルボナーラうどんとか明太うどんとかあったりしてパスタの代わりとしてうどんを使うのは割りといけます。今回はめんつゆ自体は普通のうどんと変わらないので、そこまで「洋風」というわけではないですが、普通のうどんは食べ飽きたっていうときのちょっとしたアレンジとして使えると思います。

というわけで、Tamu’s キッチンをお送りしました☆

ではまた。

アメリカ New Hampshireより。

おしまい。

【R初心者メモ】箱ヒゲ図にbeeswarmを重ねる。

どうもどうも。昨日めっちゃ格闘したので(たぶん初心者すぎて)メモ書きとしてここにやり方を残しておこうと思います。

僕は修論のサンプルが少ないので、ハコを2グループ分つくって

>Lesson <-c(16, 55, 63, 73)

>Task <-c(59, 60, 60, 90)

みたいにしてデータを入れたあとに、

>boxplot(Lesson, Task)

で箱ヒゲ図を書くやり方でやってたんですね。

boxplot_blog

 

そのあとに、さっきの箱ヒゲ図の要領にadd=TRUEを加えて図を重ねようとしたわけです。

>install.packages(“beeswarm”)

>library(beeswarm)
>beaswarm(Lesson,Task, add=TRUE)

>

beeswarm(Lesson,Task,add=TRUE)
以下にエラー match.arg(method) : ‘arg’ must be NULL or a character vector

とこうなってしまうんですね。

http://www.cbs.dtu.dk/~eklund/beeswarm/

こういうとことか見てみても、あとは日本語のサイト

http://sssslide.com/www.slideshare.net/langstat/let-chubu-2013

http://cis-jp.blogspot.com/2012/08/blog-post_3858.html

とか見てみても、データを2つ入れたいときにはどうしたらいいのか書いてなくてorz というより僕は多分Rの基礎のところがいまいちまだよくわかってないからこういうことでつまってしまったんだと思っているんですが、それでもなんとか自力で重ねた図を書くことができました。以下その方法。

まず、エクセルでさっきのデータをシートに打ち込んでCSVで保存。excel_sheet_blog

>data <-read.csv(“blogsample.csv”)

>data

 

でRにCSVを読み込んで確認。すると、こんな感じで、さっきはLessonとTaskという2つのハコに入ってたデータがdataというハコに一緒に入った形になります。

blog_R

 

このdataで箱ヒゲ図を書きます。

>boxplot(data)

ハコヒゲ

そして最後に、

>beeswarm(data,add=TRUE)

でビースウォームを重ねると、

ビースウォーム

サンプル少ないのでものっそい醜いですけどこんな感じになりますw

昨日やってたときは、箱ヒゲ図を書いたときのラベル名とビースウォームを出したときのラベル名がかぶって表示されてしまうというちょっとトリッキーなトラブルが発生して、

ということをやったんですけど、今日は読み込んだCSVでboxplot()とbeeswarm()でなんの問題もなく完成したという。昨日のあの苦労はなんだったんだろう(遠い目

そんなわけでシコシコと作業しております。あと3週間…

では。

アメリカ New Hampshireより。

おしまい。

時間を尋ねるのは”Do you have the time?”か?

どうもみなさんこんにちは。被ブロック数がどんどん増えている田村です。先日、というかそれこそ昨日とか一昨日くらいのはなしで、Twitterでしばしば見かける「ネイティブはこういう言い方しない」言説をまた発見して(というかRTがTLに流れてきて)、それに反応して公式RT+エアリプ話法を使ったらどうやらRTされた人のツイートを見に来るタイプの方だったようで、やんややんや言われて誤解されてしまいにはブロックされるという事になってしまいました。

https://twitter.com/gaby6100/status/335355878083555329

Twitter / gaby6100: こないだ英語学校の日本人生徒が「what time is i … via kwout

ツイートの埋め込みコードが取れなかったのですがとりあえず貼り付け。僕はおおまかに言えば「日本人英語学習者の知ってる(使う)英語は実はネイティブは言わないんだ。ネイティブはこう言う」系の言説にこれもカテゴライズされると思ってます。

【疑問】”What’s your name?”は失礼か

っていうのを旧ブログに書いたこともありました。What’s your name?とかHow are you?を「これは言わない」と言うよりはDo you have the time?のこの件はそこまでひどくはないと思いますが、僕は自分だけの経験とか自分が今まで聞いたことがないっていうのを「一般的に」とかって広げるのってどうなのかなってちょっと思っています。その一般ってなんなのよってなりますし(この方は「(私の周りでは)一般的にという意味」と付け加えてくださりましたが)。言語教育者であるならば、”register”っていうものをもう少し考慮してもいいのではないでしょうか?言ってることは的外れではないですけどこういう↓「煽り」も僕は嫌いです。

使うと恥ずかしいフレーズ集|英会話、英語のエブリデイイングリッシュ(EE) 

“What time is it now?”は、英語として(文脈から切り取られた文の文法性判断という点では)間違った文ではないです。なにがおかしいかというのは、つまりこの文が、「時間を知りたくて時間を尋ねるときの質問としては不自然に聞こえる(けれど時間を知りたいんだなということは多分理解してもらえる)」ということです。

今日クラスメイト(アメリカ人)とカフェでこの話をして、”What time is it now?”を使うであろう具体的シチュエーションとして彼が挙げたのは以下の2つの場合。

  1. 一度時刻を尋ねて、その後少ししてからもう一度同じ人に時刻を尋ねるとき
  2. 話し相手と自分の間に時差があるとき(例えば日本とアメリカで電話してたとしたら、”What time is it now?”とnowを入れても不自然ではない)。

上記の場合は、「時刻を尋ねる」というものの中でもかなり限定されたシチュエーションになりますよね。そういうときは、nowがあってもいいということでしょう。逆に日本語では「今何時(ですか)?」が普通で、今(now)をなくして「何時(ですか)?」という場合は、「何の時刻を尋ねているのか?」という情報が不足していて聞かれた方は「今(ですか)?」と聞き返すことになるかもしれません。だからこそ”What time is it now?”とnow(今)を入れてしまうのかもしれません。しかしながら、そこに明らかに文脈があれば、「何時(ですか)?」だって間違いではありませんよね?例えば、

友達:明日の夜大宮で飲むけど来る?

僕:何時?

友達:19時に豆の木集合で!

僕:おっけー。

という会話での「何時?」はどうでしょう?僕は一応日本語母語話者としてacceptableでgrammaticalだと思います。他には、「何時集合?」「何時から?」「何時にどこ?」とかだともっと自分が求めている情報を限定するような聞き方になるのだと思います。

というわけで、話をもとに戻すと「ことば」っていうのはそれが日本語であれ英語であれ文脈が伴っているわけであって言い方が違うということは意味が違う、つまりは使われる文脈が違うということなわけです。そこへの言及なしに、「一般的にはこう言う」だとか、「ネイティブはこういう言い方はしない」というのは言語を教える者としての責任が果たせていないのではないかと思います(別に件の方は英語を教えているわけではないそうですが、英語話者ではありそうですしそういうバックグラウンドをもとに英語学習者の間違いを正すのであればこれは考えていただきたい問題であります)。ただし気をつけたいのはそれが学習者に過度の負担を与えるものではいけないということです。例えば、

【連載】jさんのおもしろ英語塾 (7) What time is it? だけが時間の尋ね方じゃない | ライフ | マイナビニュース

この記事中ではDo you have the time?の他にも様々な表現が紹介されています。ここまで細かく状況に応じて使い分けることができる(すべき)学習者はかなり上級であると思います。自分の表現の幅を広げたい人には有効かもしれませんが。

英語は世界で話されている系の言説やグローバルがどうのとかっていう話、つまり非英語母語話者間のコミュニケーションを考慮に入れた時に、”What time is it?”以外の表現をどこまで知っているべきなのかということもまた考えなければいけない問題です。そういった場合には、「通りやすい表現を選ぶ」という作業も必要だと思うからです。”Do you have the time?”は相手が時計を持っているかわからないときや道端で見知らぬ人に話しかけるときに使われる丁寧な表現だと言われますが、”Do you have the time?”がそのような場合に使われる時間を尋ねる表現であると知らない人には、「the timeってなんの時間なんだ?」と思われてしまうかもしれません。ではそのような人は英語の学習が至らないダメな人なのでしょうか?そんなことは絶対にないはずです。また、「普段あまり英語に触れる機会がない日本人が、英語で”Do you have the time?”と聞かれて答えられませんでした」みたいな話がもしあったとしたらそれが日本人の英語力不足だとか言う話になってしまうのかもしれませんが、”What time is it?”と言われたら時間が相手に伝えられて(言い方はともかく)、日本語が使えず英語でコミュニケーション取らざるを得ない相手に自分が時間を知りたいときに”What time is it?”って使えて時間を教えてもらえたのであればそれはそれでいいのではないかと思ってしまいます。誤解を招くといけないので一言断っておきますと、僕は「英語はコミュニケーションの道具なんだから伝われば文法や発音が間違っていてもいいのだ」という言説には賛成していません。語順を始めとする勘所はしっかりと抑えておかないとまずいですし、単語をただ羅列するだけのコミュニケーションと、”What time is it?” ”What time is it now?”  “Do you have the time?”の違いと言ったregisterの問題が生じるコミュニケーションはレベルが違います。後者がどうでもいいと言っているわけではなく、優先順位としてなんとか単語をひねり出すことしかできないレベルの学習者(前者のレベル)に対して、registerを要求するのはちょっと違うんじゃないのかなというところです。

話が長くなりましたがこの件に関して色々と考えていたらこんなことになってしまいました。ちなみに今日のカフェでの話のオチは、「”Do you have the time?”はformalすぎじゃないの?」ってクラスメイトが言ったあとに、カフェのお姉さんに聞いてみて、「いやー私は言わないわ。丁寧に言うならDo you know what time it is?でいいんじゃないの?」っていう話をして、次にお姉さんが来た時に「出身はどちらなんですか?」ってクラスメイトが聞いたら「私、実はドイツ人なのよ。アクセント隠してるの」って言われたことでしたw 英語母語話者だと思って聞いたのにwwww 見た目からも話し方からも全然わからなかったので二人で笑いましたw

そんな日曜日。

アメリカ New Hampshireより。

おしまい。

学生から「社会人」になるときSNSをどうしようね

[徒然] 担任のセンセイのブログを見つけてしまった生徒さんたちへ

というanfieldroad先生のブログ記事を読みました。僕はTwitterでもこのブログでも実名顔出しして色々好き勝手なことを言っているわけですが、そうかそういうことも考えなきゃいけないんだなあと。これは学校の先生ということに限らずに会社で働いている人でも自分の身元を明かすということは色々とリスクがあったりトラブルのもとになったりするかもしれないですよね。まあ僕はやっぱりなんだかんだで教員志望ですし、自分が教壇に立つ日(立たなければいけない日、あるいは覚悟を決めなければいけない日と言ってもいいのかもしれません)が近づいてきているので、そういうときに自分が今やってるTwitterやこのブログをどうするかというのは少し悩みどころです。教員になってからブログを始められた先生方とはちょっと違って、僕の場合、あるいは僕と同年代くらいの人たちっていうのは、自分が学生時代からSNSというものに慣れ親しんで来た世代ですので、学生から「社会人」(この言葉は好きじゃないのでカッコつきで)になるときに、今まで使っていたSNS、あるいはブログをどうしていくのかという問題があるんじゃないかと思います。

FBは自分の投稿が見れる人が限定できるので、友達だけが見れる投稿とそうでない投稿のように分けて使ったりできると思いますし、Twitterはカギをかけちゃえばいいって感じでしょうか。まあでも忙しすぎてTwitterやってる暇なんかないんでしょうね(はいはいどうせ僕はry)、英語教育クラスタの方々も、大学の後輩なんかも軒並みTL出現率ががくっと下がっているような印象があります。だからといって僕はつぶやきの多さ=暇してるとは思ってません。ただただ学校の先生はずっとPCとにらめっこしてるわけじゃないだけだよなっていう。あとはまあ学生のうちよりはつぶやく内容にもかなり気を使わなければいけないんでしょうし。そうなると自然につぶやきも減っていくんでしょう。僕もいずれはそうせざるを得なくなるのかもしれません。

でも、Twitterにカギをかけるというのは僕はどうしてもしたくないんですよねなんか。カギとかないからTwitterをTwitterとして使えるといいますか。あとは裏と表を使い分けるなんていうのもどうも僕はそんなに器用じゃないしとか思っちゃいます。

さらにはブログも難しいところです。ブログを始めたもともとのきっかけは、留学日記みたいなことをやろうと思ってなんですが、でも実際僕がブログを書くときって結構留学とかあんま関係ないことだったりするんですよねw 授業のこととかは関係あるかもしれませんが、記事のカテゴリーで見てみると圧倒的に英語教育関係のことが多いですし、そっち方面に向かって書いているという意識は自分の中でもあります。なので、僕が今まで書いてきたことも、これから先に何らかのかたちでつながっていくでしょうし、僕の思考の変遷のようなものが1つのブログにまとまっていてほしいなという思いもあります(とかいって一回アメブロから引越ししてるんですけどw)。そろそろ日本に帰るのでブログ名変えたりちょっと工夫はしないとなとは思っています。今まで書いた記事を多分固定ページかなんかに移して新しくここでまたブログを書いていくようなことになるんですかね多分。とちょっと脱線しましたが話を戻すと、学生と教員というのは立場が真逆になるわけで、そこには新しいスタートをきるというような感覚があるわけなんですけれどもしかし自分という一個人としては一個の連続体であって自分は自分であるというなにかこう自分のアイデンティティ的なものはつながってるわけですよね学生だろうが教員だろうが。それは「いつまでも学生気分で(ry」とかそういうこととはまた違う話なんですよね。もうすぐこっちきて2年になるわけですが、その間のTwitterのつぶやきやブログの記事は絶対教員になっても僕のベースでありつづけると思うわけなんです。それをこうなんか切り離して新しくTwitterやブログをやるっていうのがなんだかなあと思っちゃうんですよね…

アメリカ New Hampshireより。

おしまい。

 

#つらい

指導教官の先生からメールが来ました。”Research Problems”という題名で。

ショックだったので内容をコピペ(名前はイニシャルだけにしてあります)

  I am sorry this research project has had so many problems. I don’t know if you have heard anything yet from S or from J, but it is difficult to force others to participate in your research. I am sorry that I am not a linguistic expert for you. Perhaps it would be better if D takes over for me as your thesis advisor this term since he may be more of a linguistic grammar expert. I should have advised you not to do this project as it is because there were so many other people you needed to depend on for their classes, their students, the students allowing you access and so forth. I thought I had gently pointed that out to you, but you were convinced it could work and I hesitated to dampen your enthusiasm. My mistake. Also, the course was not properly set up when it was handed to me and therefore it was difficult to find out who else could be assisting you with this. D did not set up any kind of system for other faculty members who could be counted on to help you with your projecty. You and I met almost weekly for many weeks, but I guess that was not sufficient for you nor apparently was it helpful in any way. I am sorry and will speak to D about perhaps taking over from this point on so you can get more of a linguistic expert to advise you and guide you. I am very knowledgeable about doing research and working on research, but since linguistics is not my speciality nor was it my focus, then once the topic of your research was presented to me, I should have handed it over to someone else. I’m sorry I was such a disappointment to you. I could tell from the angry and frustrated tone of some of your more recent email messages, that it was not a good “fit” for me to advise you. I will speak to D and then you may find more satisfaction with him as your advisor.

 

訳そうかと思ったんですがちょっとそんな元気もなくてすいません。お腹痛いので少し休んで18時からサッカーあるようなのでそこで気持ちをリフレッシュできたらなと思っております。

では。

アメリカ New Hampshireより。

つらい。

04/24/13 追記:僕のこのメールに対する返信の内容も以下にコピペしておきます

Hello, R,

To be honest, I am really upset about what you said. I don’t think my research has problem and it forced many people to get involved. If you say so, I would  like you to tell me how classroom oriented language teaching research could possibly be done. The problem derived from two things: one is the course itself and two is the fact that D, who proposed this thesis option, is away.
I have never done language teaching research and never even written thesis. I knew that I really needed somebody who is experienced in research in second language acquisition, language teaching and learning, applied linguistics or whatever it is called.  But, there was no choice. At first I heard that thesis option would be available, I was really excited that I would be able to do what I had wanted to do. Although I was worried about trying a new thing which even you did not know well, and I realized that no professor in TEFL program could supervise me since I never met professors who research, I thought it would not matter if I worked hard, and I still do think so. The only reason why I have been wanting to do the research as it is is that you said it would be wonderful and encouraged me. Besides, the guideline or syllabus of EFL 580 obviously requires the students taking the course to do empirical study, and I thought SNHU would be a good place to do empirical research, since many ESL students study here. That’s why I decided to extend my staying in the US, paying $4000 for only doing thesis, which is not easy to pay.
Nevertheless,  I have wondered why I needed to pay that huge amount of money just for having a meeting with you once a week. I have questioned myself: “Is this worthwhile paying $4000?”
You did help me a lot. I would not be here without your help. I agree that the thesis option has to be revised or it may be impossible to be done since all professors, both full-time and part-time, are professional language teachers but not researchers. Being able to teach English well does not necessarily mean that the person can teach graduate course or supervise research stuff, and the fact that the program puts emphasis on practice rather than theory and training language teacher instead of researcher cannot be an excuse. I sincerely believe that the program, at least thesis program, must be changed. I understand that you tried to do your best in order to do  what was expected of you even though you might realize thesis options had so many problems. I wish I could ask for refund if the research is impossible. I am a victim.
Anyway, I am not disappointed with you and I am not going to blame on you since I did not expect too much on you. The only thing I need now is getting the experiment done. That’s it. If the experiment is completed, I could finish writing up thesis as quickly as possible. If classroom study is impossible, I will change my research design and ask my friends to participate in my study. I really need to talk to D. How can I reach him? I sent him an email but got a reply automatically saying that he is now in sabbatical.

Sincerely yours,

Yu Tamura

 

04/25/2013 追記:上記の僕のメールに対する指導教官の先生の返信も追記しておきます。一応やりとりに関してはこのあと僕が色々言いすぎてすいませんでしたって言ってとりあえず今後どうするかっていう話になりました。

Yu,
Thank you for your message. First of all, I completely understand your frustration, but you are not correct to say you had never met a professor here in our program who is experienced in research. There are a few of us, me included who is experienced in research in language learning and language learning acquisition so I don’t know where you are getting your information. That is not true. I am not just a professional language teacher. I have a doctorate; I did years of research for my dissertation. No, it was not in applied linguistics. No, I was not familair with Foto’s study. That does not mean I have never done any research and no one else has. I could be offended by your statements, but I understand you are very upset.
Secondly, your research study is not impossible. I did not say that nor did I imply that and I am not suggesting you give up. I’m sorry if that is what you thought. Of course not. It is just very frustrating to continue to have to nudge the instructors to get back to you, respond to you, and so forth. That is not your fault. Please do not abandon your research. I will reach out again to S and to J so you can do the study. Yes, I was very excited for you and for your research. I said it and I will say it again. No, I was not familiar with Foto’s study. Just because I was not familiar with your study does not mean I had never done research or don’t know about anything but teaching. You can be angry with me and disappointed with me, but you need not make false statements against me. I understand, you’re angry. I am frustrated as well that this course was put into place without considering many factors, but that does not mean it is a waste of tiem and money.
Let us deal with the here and now. I will arrange for you to have the GLS students be in the study. I will insist that the GLS teachers get involved and get you the students you need. I am not giving up on you even though you seem to have decided I don’t know anything and cannot help you. That is not true. We will continue for now. As for D, I cannot understand how he will not respond to your email message. I can only guess what you wrote and what negative things you said about me and the course, but I cannot do anything about that. We must go from here. I will help you get the study going and then turn you over to D if that is what you wish. I will get back to you later today with which GLS class you can do the study with. Again, I apologize for not being the expert you would have wanted for this research.

Task 1 & 2

ワタリ先生がご自身のHPで、英語学習法Ⅰという授業の資料を公開してくださっています。

https://sites.google.com/site/doeyowata/classes/2013/mel1

slideshareで投影資料を見ていたら、こんなTaskがありました。

  1. 生徒に「何で英語の先生になったの?」と聞かれたらどう答えるか。
  2. 授業中「英語なんて使わない。別に将来英語を使わない職業に就くからから関係ないし」と言って、学習活動に参加しない生徒にどういう話をするか

というものです。まあよく聞かれそうな質問ですし、僕も一応英語教員志望者としてこの質問の答えは用意しておくべきだよなと思ったのでこの機会にここに書いておこうと思います。

まず1の英語の先生になった理由ですが、僕の答えは

「それ以外に生業にするほど面白いと思えることがないから。教員以外の仕事をしたいと今まで思ったことがない。」です。小学校のときから教員になりたいと思っていましたし、本当にそればっかり夢見てここまで生きてきたので。

なぜ教科が英語なのかという点については、大学受験のときに、教員養成系学部を受けるには教科を選ばなくてはいけなくて、自分の好きな(得意だった)社会科か英語科で迷って、「まあ英語科ならその後もし気が変わってもつぶしきくかな」くらいの理由でした。当時は、「英語の勉強面白いのになんで英語嫌いな人多いんだろうなあ。自分が教員になってそういう生徒が一人でも減ればいいなあ」ということを思っていてそれが英語教員になりたい理由でしたが、今はなんというかもうあまりそういうことは思っていなくて、今でもやんややんや言われる日本の英語教育が、少しはそういう風に言われなくなればいいなあみたいなもっと漠然としたことを考えていたりします。歳を追うごとに目標がぼやけるっていうのもよくわかりませんが。それで「英語嫌いをなくしたい」願望がなくなったのは、実は靜先生の影響だったりしています。靜先生が埼大にいらっしゃったときは、なんだかすごい人が来たようだくらいにしか思っていなかったのですが、まあちょっと読んでみるかなくらいの気持ちで読んだ本で(多分心技体かな?)、英語が好きとか楽しいとかが目標じゃなくて、英語が上達することが目標であってそれを履き違えてる奴が多すぎるんだみたいなこと書いてあったんですねそれでまあグサッと来たわけなんです。まあそうだよなあと。できるようにさせるというところから楽しいとか好きになるということになるわけで、「英語が好き」は結果でしかないっていうのはそうだよなと。まあただそういうことを考えて、「学校英語教育の目標は英語力をあげること」っていう風になっていくと、「学校教育としての英語」の目的論的にそれってどうなのみたいになるんですね。やっぱり。僕は今でも「なぜ学校で【全員が】英語を強制的に勉強させられているのか。本当に全員英語力の上達(「使える英語」とかいう曖昧な目標)を目指して努力しなくてはいけないのはなぜなのか」というのがわかりません。それでこの点はタスクの2に関わってくることなんですが、これは英語に限らず学校での学習一般に関して「こんなことしてなんの役に立つの」系の言説としてよくあがりそうなことです。で、これに対するまあ無難というか妥当でありがちな答えは

「使うか使わないか今はわからないから、必要になったときに、自分で勉強ができるように、将来の可能性を狭めないために今勉強しなさい。今やっているのはそのための勉強です。」

僕はもしかしたら、

中学校なら

「義務教育だからやってください卒業したら英語が必要ない道を自分の好きなように選んでいただいて構いませんから。」

高校なら

「じゃあ英語勉強しなくてもいい人生選べばよかったじゃないなんでそうしなかったの?」と聞いてみます。

あるいは、

「なんだってできないよりできるほうがいいんだし俺ができるようにさせてやるから黙ってついてこい」

とか言うか。

でもやっぱり、中高生の段階で自分に何が必要で何が必要じゃないかなんてのを判断できるとは思えないですよね。だから学校っていうものがあってある程度パッケージ化されたものを教えているわけで。でもたいていは「あとで困るからやっといたほうがいいよ」的なアドバイスって正直そんな役に立たないんですよだってその程度じゃ「へーそっか」くらいにしかならないし「よしやらなきゃ!」と思っても結局長続きしない。それに、「英語ができないことによるデメリット」を提示して「やらねば」と思わせるよりは、「英語ができることのメリット」を提示して「できるようになりたい」と思わせたいですよね。ただしこの方向性で注意しないといけないのが僕が以前にも書いた、「英語が話せれば世界中の人とコミュニケーションができる」系の言説ですね。これってまあ確かに日本語しか喋れない人と英語も話せる人を比べたらそりゃあコミュニケーションが可能になる人数はぐっと増えると思いますけど、僕はやっぱりこのことによって排除される人たちのことも考えるべきだと思うんですね。

それはその通りなのですが、どれだけ英語が流暢になっても英語でコミュニケーション取れない人がいるっていう事実は忘れちゃいけないと思います。RT @gachawo: 最近よく思うんだけど、全然違う人種の人と普通にコミニュケーションとれるから英語ってすごいよな。

— Yu Tamuraさん (@tam07pb915) 2013年4月14日

 

こういうことはちゃんと教えたいです。もしも生徒が自分の英語に自身が持てるようになった時に、例えば他の英語圏の人たちと英語でコミュニケーションを図ろうとして「なんだよ英語もできないのかよ」みたいなことは絶対に思ってほしくないんです。

だから本当に学校教育って難しいんですよね。やっぱりどっかで理屈じゃなくて「やらなきゃだめなもんはだめ」っていうところがないと成り立たない気がするんです。前のブログでもこんな記事を書きました。

【授業】教育について考えた

教育ってそういう営みなんだろうなと思います。なのでできれば授業中にタスク2のような状況が起こらないように全力で頑張るしかないんですが、もしもそういうことが起こってしまった場合には

「10年後にもし本当に英語が一切必要なくて田村の授業は全て無駄だったなんだったんだあの時間はって本気で思ってたらその時は全力で謝って回らない寿司でも食わしてやるからとりあえずやっとけ」

とか言ってごまかしますかね…(今までの話なんだったんだっていうツッコミありがとうございます

まとまりませんがこのへんで。

では。

アメリカ New Hampshireより。

おしまい。

FonFとnoticing(とCR)

どうもみなさんこんにちは。なんだかあれれ?と思うことがあったのでメモしておきます。

題名の通りなんですが、Focus on Form (FonF)とnoticingはなにが違うのかって言うこととあとじゃあそれとConsciousness Raisingはなにが違うんだろうっていうことです。

FonFっていうのはまあ以前にも関連した記事を書いたんですが、

overtly draws students’ attention to linguistic elements as they arise incidentally in lessons whose overriding focus is on meaning or communication (Long, 2001, p.184)

とあって(これがあのTwitterでつぶやいてた1991論文の再録のやつです。元のページは他の論文で見てるから知ってるんですが一応2001の方で)、まあやっぱり意味理解中心の中で、あるいはコミュニケーション中、つまり学習者の意識が意味理解に向いているときに言語形式に注意を向けることなんですよね。

で、noticingっていうのも、それが言語習得の枠組みの中で使われる場合は、そのnoticeするものっていうのは基本的にはmorpho-syntactic featuresですよねというか僕は音声系のnoticing研究は知らないんですけどでも研究の材料としては形態素や文法構造に対して、意識が向いているかっていうのが多いと思います。それで、これはnoticingの曖昧さでもあるのかもしれませんが、このnoticingっていうのはFonFがいうような意味理解中心の中でのnoticingなのか、あるいはそれはあまり関係ないのかっていうのが気になってるんですね。僕が参考にしている先行研究を見ている限り、noticingをオンライン(underliningやnote-takingなど)で測る場合、例えばFotos(1993)ではリスニングとcomprehension questionのあと、あるいはディクテーションさせたあとにテキストを渡して読ませて下線引かせてるんですね。でこれってそうやることで意味への注意を減らして形式に注意が向きやすいように仕向けてると思うんですね。でもこの論文のタイトルは超絶すごくて、”Consciousness Raising and Noticing through Focus on Form”なんですよ。この記事のタイトルが3つ全て詰まっているわけなんです。アウトプットがnoticingにどう影響するかというのを調べたUggen (2012)でも、形式の違い(仮定法現在と仮定法過去)で形式への気づきの量に差が出ていて(後者の方がターゲット項目含め形式への気づきが多かった)、でも全体的には統語的要素よりも語彙に多く下線が引かれているという結果になっています。でまあ読ませる中で同時に線を引かせるってなると、意味と形式に同時に意識が向くわけですしそうなってくると形式への注意を喚起しないがきりは意味へ向かってしまうよなと思います。まあ形式への注意を見たいのだからできるだけそれを阻害する可能性のある要素(ここでは意味理解)をなるべく排除して観察するっていうのはそうじゃなきゃわからんじゃんということになってしまうんですがそうなるとこのnoticingってのは意味理解とは関係なしに(あるいはそれが主目的ではない)インプットを受けている中で形式へ気づきが起こればいいのか?ってことになってそれどうなんだろうってなってたんですね。

そんで、VanPatten (1990)では、形式への注意が意味理解を妨げるということが述べられていて(ここで注意が必要なのはこの実験における「形式」は意味理解への比重の少ない”meaningless” formであったということ)、それでFonFなんてちっと現実的じゃないんじゃないんみたいなことが書いてあったりするんですけどその文脈でSchmidtのnoticingの批判とかがちらっとあるんですね。おやそうするってーとこれはFonFもnoticingも意味理解中の形式への注意っていうことになるんか?とかなってしまってまあ大変。もしもそういうことであったとしたら、noticingを測る際に最初に意味理解を済ませてから取り組むとそれはFonFがいうところの形式への注意ということではなくなるし、でも意味理解のないところで形式に注意したところでそれがどうやって習得につながっていくかっていうところはありますよね。まあもちろんFonFというのは指導する側が、学習者の注意を~という文脈であって、noticingというのは学習者の認知プロセスの話ですから土俵がちょっと違うわけなんですけど、これに加えてRutherford & Smith (1985)のCR

“the deliberate attempt to draw the learner’s attention specifically to the formal properties of the target language” (p.274).

とかが入るとじゃあこれはFonFとはどういうふうに違うんだろうなあとか思っちゃうんですよ。先述のFotos先生の論文だと、FonFとCRっていうのがなんかどうも重なっているように見えてしまうというか。というわけで難しいです。

ではまた。

アメリカ New Hampshireより。

おしまい。

参考文献

Fotos, S. S. (1993). Consciousness Raising and Noticing through Focus on Form: Grammar Task Performance versus Formal Instruction. Applied Linguistics14(4), 385-407.

Long, M. H. (2001). Focus on Form: A Design Feature in Language Teaching Methodology. In C. Candlin, N. Mercer (Eds.) , English Language Teaching in Its Social Context (pp. 180-190). London, England: Routledge, with Macquarie University and Open University.

Rutherford, W. E., & Smith, M. (1985). Consciousness-Raising and Universal Grammar. Applied Linguistics6(3), 274-282.

VanPatten, B. (1990). Attending to Form and Content in the Input: An Experiment in Consciousness. Studies In Second Language Acquisition,12(3), 287-301.

 

実習終わりました

どうもみなさんこんにちは。しばらく実習のことについてのブログを書けていなかったのですが、火曜日に最後の授業を終えて、今日ポートフォリオを提出して実習を終えました。これで僕は全てのコースを終えたので、あとは修論の提出のみということになりました。残り日数は少ないですが、他になにも心配することがなくなったので集中して取り組みたいと思います。

さて、実習のことについてブログは書いていなかったのですが、毎授業ごとにreflectionは書いていました。それらのreflection paperとlesson planの他にresumeとかが入ってるportfolioのリンクを貼っておきます(※123ページありますのでご注意を)。resumeに僕の今住んでる住所と電話番号が書いてあるので、それは黒塗りしておきました。

https://www.dropbox.com/s/i78jo9e4umqltvq/Practicum%20Portfolio%28blog%29.pdf

portfolioがどんな構成になっているのか目次だけ紹介しておくと、

  • Introduction
  • Resume
  • Philosophy of Teaching Second Languages
  • Description of Teaching Site
  • Goals for This Practicum
  • Personal Needs Assessments
  • Personal Goals and Objectives
  • Reflections on Observations
  • Lesson Plans
  • Reflection on Teaching

という感じになってます。これは一応先生のrubricに沿ってこういう構成になってまして、何をportfolioに含めるかも僕が決めたわけじゃないということころがちょっとトリッキーです。各lesson planの後に、その授業で使った教材のDropboxのリンクを貼り付けています。また、全部読むのだるいしって言う方がほとんどだと思いますので、目次というものを作ってみました。初めてやったのでなんか試行錯誤しながら初めてWordが俺の言うこと聞かないとはこういうことかとか思ったりしましたが、目次をクリックしていただくとその章にジャンプするようになってます。このportfolioには僕が授業でなにやったか、その授業やってなにがうまくいって何がうまくいかなかったのか、なんでうまくいかなかったのかといったことが書かれていまして、lesson planとその授業のreflectionを読んでいただくとそれがわかるかと思います。

そんなわけで、まあ色々あったんですがやっとこさ終わりました。実習が始まった頃は、終わるときの自分が想像できませんでしたし、日々の授業も本当に手探りでした。カリキュラムがないので、自分で生徒さん達が今必要としていることはなんなのかというのを毎回の授業の中で探して、あるいは提出してもらったワークシートの丸付けをする中で見つけて、それを授業に取り入れながら、また自分が大切だと思うことも織り込みつつやって来ました。なので、毎回毎回授業を考えるのに本当に苦労しましたしかなり時間がかかりました。授業の時間は一回に3時間ですが、実際にその中でやる活動というのは1つかあるいは2つほどだったのですが、それでも正直指導案を書くのが本当につらいなと思うほどでした。

一番最後の授業では、最後にも関わらず新しいことにチャレンジしてみたりもしました。詳しくはportfolioの中のreflectionを読んでもらえばと思うのですが、カレンダーを見て、ひとりずつ僕と話をしてappointmentを取付けるというtaskでした。モデルを示したり、こういうphraseやsentenceを使おうという指導を一切せずに、今ある自分のもてる全てを使ってとにかくtaskを遂行するというのを目標にしました。もちろん僕は一話し相手に徹して、コミュニケーションを断絶させないような支援以外、つまり教員的目線での支援は一切しませんでした。それをPCのボイスレコーダーで録音し、あとでみんなで聞きながらフィードバックをしていくという授業でした。実はその前の週の授業で、Can I make an appointment?という文をターゲットとして扱っていました。また、授業のイントロでそのセンテンスをもう一度復習はしたのですが、結果的にそれを会話中で使った人は一人もいませんでした。もちろん僕が担当しているのは本当に下のクラスで、センテンスレベルで産出出来る人が数名いるかくらいであとは単語をどうにかつなぎあわせてコミュニケーションするという感じです。ですがそれでも、「アポをとる」というのは彼らにとってできなくてはいけないtaskです。なのでその彼らが必要としているtaskにまず挑戦させて、自分の現在のレベルと目標の差を確認してから、じゃあそこを埋めるためにはどういうことが必要なのか、例えばまずは曜日を先に、曜日が決まったら時間を決めて、ということや、”appointment”という単語だけや”I have appointment.”と言うと、特に後者はミスコミュニケーションが起きやすいこと、そこでCan I make an appointment? まずこれを最初に言おうという流れでもっていきました。

そのあとのフォローアップ、口頭練習と、同じタスクにもう一度チャレンジさせるという段階まではいかなかったのですが、担当の先生にその部分は後日やっていただくようにお願いしました。

導入→練習→活動

という流れを僕の中では初めて無視した授業でした。

task→支援→task

といった感じでしょうか。録音した会話を聞きながらフィードバックを行う中で、「あーそうか!!」とか「そうだった!!」みたいなのが見られたので、ある程度は狙った通りの「気づき」を引き出せたのかなとは思いますが、問題はこれで気づけなかったところをどうやって埋めていくのかというところ。松井先生がおっしゃっていたことですね。

全体を通しての感想は、本当にこれはここにいるからできた体験なんだなということです。自分が初めてアメリカに来た時や、TEFLのプログラムを始めたときには、英語がほとんどわからない喋れないという人たちに自分が英語を教えることになるだなんて思っていませんでしたから。「英語を教える」ということに関して、僕が実習をやった場所が必ずしも良い環境だったとは思いません。カリキュラムもありませんし、評価もありません。学校に来て勉強する生徒よりもはるかに勉強以外に割かざるをえないリソースの方が大きい人たちでした。衣食住に困っていないというまず生活の根本のところに不安を抱えている人たちですから、それは当然理解出来ます。そのような中でも、とにかく少しでもいいから英語力を伸ばしたいと頑張ってやってきました。僕がやってきた授業は日本に帰って教員になったときに直接的に役に立つものだとは言えないのですが、それでも、初学者中の初学者に英語だけで英語の授業をやったということは、日本の中学生や高校生にもやれと言われれば英語で授業ができるということかもしれません。もちろん僕はこの実習の中でも母語でコミュニケーションが取れればどんなに楽だろうとかどんなに時間が短縮できるだろうと思う場面に何回もぶち当たりましたし、日本で教えるときには日本語は大いに授業に活用して行きたいと思っています。それは指示面やクラスマネジメントでもそうですし、日英の比較対象の視点という意味でもあります。

もちろん課題もありました。portfolioのchapter 5と6あたりで触れられていますが、日々の授業の中で生徒のニーズに合わせた授業を臨機応変に展開しつつ、一つ一つの授業を有機的に関連付けることです。これは教科書があり、指導要領があり、といった日本の中高ではあまり心配する必要がないのかもしれませんが(教科書や指導要領に縛られるという別の問題はありますが)、自分で授業を考えつつやっていくなかで、あっちにいったりこっちにいったり一貫性を失ってたと反省しています。また、授業の一部を生徒とのインタラクションで組み立てようとしたときに、どうやって自分が考えているストーリラインに(自然に)の生徒たちを乗せていくのかという難しさも感じました。授業は指導案をのとおりには進みませんし、生徒とのインタラクションは予想はできても完璧な準備はできません。いつでも予想外の反応や答えが返ってきます。それにうまく対処しつつ、「なんで?」「どうして?」といったモヤモヤをできるだけゼロに近い状態にして授業を進められるかが難しいなと感じました。とっさにいい例文やコンテクストが思い浮かばなかったり、シンプルな英語で文法を説明したりというのに苦労しました。これは自分の英語力の問題でもあると思います。

こういった課題をどうやって克服していくかが、教師の卵としての僕の次のステップなんだと思います。

そんなわけで、修論頑張ります。

P.S. 僕が7回目(最終回の前)にやった授業を先生が見に来る予定だったのですが、日程の変更によってそれができなくなってしまったために、ビデオカメラで撮影してそれをYouTubeにアップしました。公開にするのはちょっとよくないと思うので、リンクをシェアした方だけが見れる限定公開の設定にしてあります。もし興味がおありの方がいらっしゃいましたらリンクをシェアさせていただきますのでTwitter等でご連絡ください。

では。

アメリカ New Hampshireより。

おしまい。

2013-03-26 14.44.21